鈴なり星

平安古典文学の現代語訳&枕草子二次創作小説のサイト

思考青年 その2

 


爽やかな若草の香りがする。雨がやんだのかな。あれ?私は寝てたのか。たしか行成が調査報告書のことで来てたよな。
斉信はしょぼくれた目をこすって壺庭を見ると、やはり相変わらず雨は降り続けている。
「私は寝てたのか。…なんだい?それ」
床の上に折敷が置いてあった。行成は、折敷の中のものを何やらいじっている。
「寝ていたのはほんの小半時ですよ。珍しい物をいただいたので一緒に飲みたくて、今日こちらにお伺いしたんです。何だと思います?」
折敷の中には白い盃がふたつ。かすかにただよう爽やかな香りは、どうやらこの盃が源らしい。
盃の中には乾いて縮れたような、くすんだ黄色味をおびた青い葉が少量入っている。
「すがすがしい香りがするから、雨がやんだのかと思って目が覚めた。見たこともないものだ。何だろう?」
薬草とは違うその香りに、斉信は不思議そうにつぶやいた。
「これは『茶』というものだそうです。私も初めて見ました。今日俊賢さまからいただいたんです。俊賢さまには典薬頭どのが渡されたとか。蔵人頭の二人に渡してくれと頼まれた、そうおっしゃってました」
「へええ!これが『茶』。なんでまた典薬頭どのが我々に?私たち、何か病気したっけ」
「おそれおおくも帝からのあたたかいご厚情です。今回の事件の始末をねぎらってくださったのです。茶は滋養や体力回復に効果てきめんで、帝が極秘に典薬頭どのにお命じになられたとか。典薬頭どのは俊賢さまに渡して、俊賢さまは私にと、そういうわけです」
「ってことは、これは典薬寮で管理している茶?」
「聞いてビックリ、この茶は何と大宰府からの献上品だそうですよ。
なんでも唐渡りの特級品の黄茶というもので、泰始皇帝が不老不死の薬として探し求めていたとの伝説付きの茶木の葉だとか。それをほんのひとつかみですけど、我々下っ端に下賜されたのです」
「へええ――っ!」
斉信は、今度こそ本当にびっくりした声をあげた。
「シッお静かに!帝が直々にご禁制スレスレの品を渡した、ともなれば大問題になります。だからバレないように、私が直接ここの台盤所に出向いて湯と碗をお借りしました」
その方がびっくりするよ…斉信は心のなかでつぶやいた。
赤の他人のしかも蔵人頭が、よその家の台盤所に一人で行って湯と碗をこそこそ借りる。下働きの者たちは仰天しただろう。
涙をにじませながら笑いをこらえている斉信をジロ目で見ながら、行成は水瓶から盃に熱い湯を注いだ。

やがてあたりがふくよかな香りに包まれる。
「じつに高貴な香りがする。この香りだけで疲れも眠気も吹っ飛んでしまうような気がするよ」
「眠気がなくなったのは、先ほどうたた寝したせいじゃありませんか?
しかしこの茶、本当に清らかな香りですね。まるで春の草原の中にいるようです」
淡い黄金色の湯色が美しい。飲んでみるとまだ熱かったが、かえって熱さの刺激が舌に快い。
「不思議な味がする。上品で、ほんのり甘い」
感に堪えたように斉信がつぶやいた。
「ええ。まろやかで甘くて。こんな飲み物があったんですね」
二人はしばらく黙って茶をすすった。

斉信は飲んでいるうちに、鬱々としていたのが少しずつ活力を取り戻したような気がした。
現金なものだよ、茶を下賜されたというだけで元気になれるなんて。いや、行成自らが私のために淹れてくれたものを差し向かいで飲んでいるからなのかな。
妙に頭が冴えてきたおかげか、いくつも答えが浮かんできて、どれが本当の自分の気持ちなのだかわからない。茶の香りにまかせて、このままとりとめなく考えつくままに流していってもいいが、でも、あともう少しで、このごちゃごちゃした思いがひとつにまとまりそうな気がするのだけど。

「初めて茶というものを扱ったので、うまく淹れられるかどうか不安でしたがホッとしました。まあ仮に大失敗したとしても、あなたは笑って済ませてくれる。心はこもっているからねって。だから失敗しても私はやはりホッとするでしょうね。どちらにせよ薬効は十分あるので」
行成がなにげなくさらりと言ったこの言葉に、斉信は頭の中をぐるぐる回っていたいろいろな考えが一気に収束するのを感じた。

そうか…そうだったのか。
今気が付いた、自分の気持ちに。
特別に下賜された薬だとか、帝おん自らが心配してくださったからとか、そんなのじゃなかったんだ。

「茶葉も飲み込んでください、女房たちに見つかるとまずいんで。やはりこういうものは、形跡を残してはいけません。別にうしろめたいことではないんですが。
?…ニヤニヤ見つめないでください。茶の薬効が顔にきましたか」
「ゴメンそんなに顔が緩んでいたかい?う…茶葉、決して不味くはないけど、ザラっと口に残るなぁ。
…飲んだよホラ。
ああ!なんだか腹の底から元気がわいてきたようだ。これも茶葉のおかげかなっ」
斉信はガッツポーズをしてみせる。
「ではアシがつかなくなったところで、台盤所に返してきます」
行成はそう言うと、盃と水瓶を折敷に乗せて、ひょいと片手に持ち上げて立ちあがった。
「え。私が行くよ!君が行くと台盤所の者たちがびっくりする」
「おかまいなく。その分早く報告書に取りかかって下さい。茶のおかげで身も心もスッキリでしょう」
「うん。なんだかごちゃごちゃしていた物思いも原因がわかったし。ヨシ、今夜中に終わらせるぞ。
それはそうと行成…きみスッゴク似合ってるよ、ギャルソン姿」
行成は「何ですそれは」とかブツブツ言いながら、折敷を胸の高さまで持ち上げて部屋を出て行った。


早いとこ書きあげてしまおう。見たことをすべてありのまま。聡明でお強い帝のことだ、きっとご自分の中で消化してくださるにちがいない。
いちど方向性を決めた斉信の行動は速い。さっさと報告書の方針を立ててピッチをあげて書き始めた。


(終)