鈴なり星

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第二回直撃レポートin六波羅蜜寺

 

 

『勅なれば いとも畏し』とはよくいったものだ。
私は今、内裏の南、鴨川と鳥辺野にはさまれた六波羅蜜寺の前にいる。今日はこの寺に用があるわけだが…いや、仕事だ。いらぬ邪念は捨てなければ。神聖な寺での邪念は無用。多少足が震えている気もするが、さっさと片付けるとしよう。恐がっていては進めない。

本日の私の仕事は第二回直撃レポートだ。第一回めは、斉信が大学寮で文章生にインタビューをした。次は私の番となったわけだが…お題が、

『一日念仏踊り体験 with 大福茶』

だとは。空也上人のお弟子どの達とともに念仏を唱え大福茶を飲むこと、という勅命をいただいた。
内容自体は全く難しいものではない。
しかし念仏踊り…これを体験するのか、この私が。



空也上人は903年生まれ。出生地不詳。醍醐天皇の第二皇子だという説もあるが、本人自身が生い立ちを語りたがらなかったというのだから、まあそこらへんはどうでもいいことだろう。
全国行脚していた彼が都入りをした当初、都は平将門と藤原純友に東西から攻められ疲弊しきっていた。衆生を救うはずの宗教は貴族の宗教と化していて、大衆の心から離れていた。
そこを救ったのが、空也上人の念仏だったのだ。
一体どのようなありがたい念仏なのか、現場で一度体験してまいれ、と今上から勅がおりたのだが…わかっている。おそれおおくも今上をたきつけたのは、あの斉信だということを。彼はいつでもハードプレイ、じゃなかった、困難な仕事をとってきたがる。やっかいな性格だ。

面会の予約はとってある。中に入るとするか。



広報担当の僧
「お待ちしておりました。行成さま。どうぞお入りください」

――落ち着いた造りの寺ですね。なんともいごこちのよさそうな。

「ありがとうございます。この六波羅蜜寺は、故村上帝がご病気のおり、空也上人の大福茶で全快した御礼に建立していただいたお寺なんです」

――なるほど。大福茶は後ほど試飲させていただくとして、まずは空也上人の出自を詳しく…

「はい。上人さまは903年生まれで972年にお亡くなりになられた事以外、詳しい事は何もわかってはいないのです。ご自身が、出自のことを語りたがらなかったものですから。醍醐天皇の第二皇子とも、仁明天皇の皇子常康親王の御子とも言われていますが、まあ、ご本人の中では己の血統などはどうでもいい、というところでしょうか」

――ゴーゴー念仏踊りの開祖といわれていますが。

「ハデ好みの坊さんという印象を持たれてますが、本人はそんなに前衛的なお人ではなかったようですね」

――布教活動はどのように?

「そりゃもう、すばらしく斬新な発想で活動されましたよ。
一般人には外国語にも等しいお経をダラダラ続けるのが、それまでのホトケさまの権威だったんですけど、彼は一気に仏教の街頭進出と視聴覚教育を計画したんです。念仏も簡単な、
『ナモーダ(南無ー陀)』
のみ」

――初心に戻り、今一度ホトケサマと大衆をつなごう、というわけですね。そのためには百の説法よりは五感に訴える念仏が有効であると。体験主義者である空也上人のすばらしい先見、ご立派です。

「この一風変わったやり方で、町の市場や路地裏で身振り手振りで説いたので、『市の聖』とも呼ばれるようになりました」

――仏法を説く以外の実践手段は、何か?

「すばらしい供養をなさったんですよ。毎日市内を歩いては、行き倒れの死体を葬って卒塔婆を立てる、それを生涯し続けたのです」

――なかなかできないことですね。他には。

「大福茶の実践ですね。観音様と一緒に車で引き回した大茶釜に湯をわかして、結びコンブと梅干しと共に茶を立てるんです。それをまず観音様にお供えしてから、大衆に飲ませると。街頭で観音様を拝むのも、”お下がり”をいただくのも初めてな大衆は、もうそれだけで大感動、病気や空腹まで治った気になりました」

――すばらしい大衆心理学を身に付けておられたんですね。


「では行成さま。そろそろ街頭説法のお時間です。衣装をお着替えになってください」
「やはり避けては通れませんか。はぁ―(思いっきりため息)」
「頭の中将さまからくれぐれもとお願いされていますから。
ささ。こちらの白い水干をお使いください」
「今日着てきた衣装は一番質素なものなんですけど、脱がないとダメですか」
「練り歩いてる最中に身ぐるみはがされますよ。一般大衆から見たら、十分高価なものばっかり身に付けておられるんですから」
「せめて烏帽子は許してもらえますか」
「下にこの麻布をほっかむりして下さい。身の安全の為です」
「$%&=*℃★д!(こいつ斎信の回し者か!)」

 


ああ賑やかだな…私たちの行列に、市民たちがゾロゾロ集まってくる。今の私はただの一衆生。行成という魂は、遠いお空の彼方へ飛んでいってしまっている。我に返ってはダメだ。きっと恥ずかしさのあまり悶死してしまうに違いない。
ほっかむりは正解だったかも。この服に烏帽子だけ…丸見えの顔で、正体がバレバレになるところだった。顔をできるだけ見せないように、頭にかぶった麻布を鼻の下で固く結ぶ。白くみすぼらしい水干姿。首にはヒモでくくったナベ。こんな、こんなおちゃらけた姿、万が一知り合いが見てても自分だとはわかるまい。
みんなヤケクソのようにナベやカマを夢中でたたきながら、念仏を唱えている。これが法悦境というものか。



広報担当の僧「ナモーダ、ナモーダ、ナモーダ」
行成「…南無…阿弥陀」
「違いますよ、ナモーダですナモーダ!こんなところで教養を発揮しないでくださいナモーダ」
「…ナモ、ナモー弥陀」
「もう少し、もう少しですよ!さあ、おのれの身分立場に捕われていてはいけません!皆等しく救済してくださる仏さまにすべてをゆだねるのです、ナモーダ!」
「ナ、モーダ」
「言えたじゃないですか!これでようやくあなたさまも無我の境地。ナモーダ、ナモーダ、ナモーダ」
「ナモーダ、ナモーダ…」
無我の境地か。たしかに『お願い誰か夢だと言ってくれ』状態かも知れない。


観音様のお下がりだという大福茶は、じつにおいしい。さんざん歩き回ったせいで、のどがカラカラだ。コンブと梅干しの滋味が体に染みわたる。この茶を、かつて村上帝も試飲されたのか。それを思うと背筋を伸ばしていただかねばならない気持ちになるが、周りの大衆はそんなこと関係なしに純粋に神仏を信じて飲んでいる。そうか。今は私も一衆生。ただの男だ。なににもとらわれず、いっさいを仏にゆだね、それだけを信じる。信じれる。
空也上人はきっと、全国各地でさまざまな世の醜さと不幸を見てきたのだろう。そして、良いことも悪いことも、人間が作り出すものすべてに限界があることを悟ったのではないか。その上での「ナモーダ」…現実的な思想だ。きっとこの街頭念仏は衰退することなく、広がっていくに違いない。
よし、これをレポートの「所感」としておこう。


よい経験ではあったがたまらなく疲れた。内裏への帰路が果てしなく遠く感じる。
空の彼方へ飛んでいったわが魂も、天に召されることなく無事に帰ってきた。本当によかった。はやく帰って、今日はもうさっさと寝てしまおう。

(終)