鈴なり星

平安古典文学の現代語訳&枕草子二次創作小説のサイト

それぞれの矛盾 その2

 


「やあ行成。ひ・さ・し・ぶ・りっ」
先触れがあってしばらくしてから斉信が几帳の向こうから顔をのぞかせた。
斉信が我が家に来るのは久しぶりのことだ。
「ひさしぶり…って毎日宮中で一緒じゃないですか」
「君ん家に遊びに来たのが、だよ。といっても20日ぶりくらいかな」
そう言いながら、用意された円座に座り込む。
ずいぶんとご機嫌だ。顔を見ると、なんだか少しほてったように赤い。
「斉信…飲んでるでしょう」
「えへ、わかる?やっぱ」
めずらしいこともあるな。ここに来る前からほろ酔いかげんだとは。
「家で少々ね。一人で飲んでても退屈だから、相手してもらおうと思ってさ、ほら、つまみ持って来たよ」
手にぶら下げていたカゴの中に、干し魚がいくつか入っていた。
「飲むのはかまいませんが、あと少し、これを読み終わるまで待ってもらえますか」
その間斉信は、なにかつぶやきながら鏡を見たり、厨子の中をのぞいたりしてヒマをつぶしている。
用がなくても来る事はしょっちゅうだが、話したいことがありそうなそぶりはカンの鈍い私にでもわかった。ひょっとしたら、ここのところのご乱行の原因がわかるかもしれない。では早いところ読書をきりあげてしまおう。

「急に押しかけて悪かったね。読書の途中だったんだろう?」
「いつもはそんなことおかまいなしに押しかけてくるのに、今日はまたずいぶんとしおらしい物言いですね。なんだか斉信じゃないみたいですよ」
あれから、読んでた本の内容がさっぱり頭に入ってこなくなった。斉信の存在が集中力を散らす。いつもはそんなことはないのだが。
認めたくはないが、私は斉信が悩みを打ち明けてくれるのを、ずっと待っていたのだろうか。
目の前に、彼がもってきた干し魚がいくつかに裂いて皿の上に置かれている。香ばしくあぶられたそれが、食欲をそそる。

酒を飲み交わしながら、とりとめもなく話をした。どうでもいいような話ばかりだ。お互いが、大事なことをきりだしかねて相手の出方を待っている、といったふうに、なんだか妙な空気が流れていた。
ついに私のほうが、くだらないお天気の話なんぞに時間を費やすことにしびれをきらしてしまった。
「…後宮でずいぶん手厳しい扱いを受けたそうで。日ごろの華麗なる頭中将さまが唖然呆然だった、と耳にしましたよ」
「ああ、もう伝わってるんだ。そっか。そりゃそうだ」
こら。ため息つきながら自己完結するんじゃない。
「公衆の面前でなじられたのに、あまりこたえてないように見えますね」
「言われた私より言った本人のほうが、あとでつらい思いをしてるんじゃないかなあ。
サロンを引き立て女御さまを盛りたてるのが仕事の女房が、とりまきの男を衆人の中でこきおろしたわけだから、女房としては失格なわけだ。そこまで追い込ませてしまった、それが気の毒でねえ。悪い事をしてしまったと、返す言葉が見つからなかったよ」
追い込ませてしまったって、どういうことなのだ。女房の方が、斉信に入れ込んでいたということか?


「…女とはおそろしいな、行成」
「?」
「女のカンは、本当におそろしいものだよ」
その沈んだ声に、私は斉信が見た目以上に精神的にまいっているのがわかった。口では平気なフリでも、やはり衆人の中でなじられるのは、おそろしい気になるものなのだろう。気の毒に。


「最初はね、よく似ている人を好きになればきっと忘れられると思ったんだ。顔立ちの似ている人、心ばえの似ている人。違う、と感じたらすぐに乗り換えた。でもね、とてもよく似ていても、一部分でも違う面を見てしまえば、たちまち醒めてしまう。それでね、今度はまるで似てない人を好きになればあきらめられる、と思ったのさ。姿かたちも性格も、全く正反対なら比べようがないからね。比べる気持ちが起きなければ、そのうち忘れられる、とね。もう次から次にさがしたよ。でもだめだった。なんでこんなムダな時間を過ごしているんだろうって、逢瀬の最中にそんなことばっかり考えてさ。それも失礼な話だよね。
あの女房もね、無理やり押し倒そうとする私に、
『私の向こうに誰を見ておられるのですか、私は私以外にはなれませぬ』
と泣いていたよ。
最低だな。皆の前でなじられても仕方ないことを、私はしていたわけだ」


突然あふれだした言葉を不審に思い斉信を見ると、泣きそうな顔で私の方を見つめていた。こめかみから首筋にかけて、だいぶ朱に染まっている。
酒の入った瓶子(へいし)を振ると、軽い水音がした。
「斉信、飲みすぎですよ。私はそんなに飲んでいないのに、なんなんですかこの減り具合は」
「ええー提供してくれたぶんを飲んじゃだめなわけ?そんなしぶちんなんだな行成君は。あーしぶちんしぶちん。行成君はしぶちんちんだ~」
そういいながら斉信は、ごろんと床の上に寝転がってしまった。両腕を顔の上に乗せたので、もうどんな表情をしているのかはわからない。


さっきの告白。
斉信にはとても、とても強く想っている人がいるようだ。
「忘れたい」って、あきらめなければならないような人なのか?どこか夫婦仲の良いところの北の方なのだろうか。そうでなければ、どこに頭中将をいやがる家がある?何も問題はないはずなんだが。
斉信らしくない発言だ。何事にも攻めの姿勢で乗り越えていく彼が、この弱気さはどうだ。

そのまま彼は寝てしまったようだ。顔を覆っていた腕が、ズルズルと床に落ちた。

私が女人であれば、と思う。
もし私が長く美しい髪を持っていて、どこかにひっそりと住んでいる姫君だったら、同じように探し出してくれるだろうか。
その「忘れられない人」を忘れてくれるだろうか。
形の良いその唇で、私に真実の愛の言葉をつむいでくれるのだろうか。

じつにくだらない想像をしてしまった。私は男だ。女人であったならなどと、万に一つの可能性もない。ありえないことは考えるだけムダだ。
彼のはずれかかった烏帽子をととのえてやる。楽にしてやろうと、首の部分をゆるめると、酔った熱い吐息が手にかかる。

私も少し酔ってるのかもしれない。きっとそうだ。
でなければどうして女人に嫉妬などしようか。


(終)