鈴なり星

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小夜衣49・今上、恋の葛藤の果てに

 


さて、兵部卿宮に姫君を連れさられてしまった山里の家では、気の毒な尼君が按察使大納言に怒りを訴えていました。
「数ヶ月も行方不明だったのがようやく戻ってきてくれたと安堵しておりましたのに、宰相の君が『山里の姫はたいそうお美しくて』と噂していたのを、どこから宮さまがお聞きになられたのでございましょうか。わざわざこちらまでお越しになられ、垣間見ついでにさらって行ってしまわれたのです」
もちろん大納言には姫と宮の本当の出逢いの経緯など説明できるはずありません。宰相の君が、
「神隠しにあった薄幸の美少女が奇跡的に見つかった、という噂話に興味を持たれた宮がはるばる訪ねてきて、気に入ったついでに連れて行ってしまった」
という架空の筋書きをつくったのでした。
けれどなんの相談もなく勝手に姫君を連れていかれ、祖母として平気でいられるはずがありません。尼君の憤慨している様子に大納言は、
「尼上のおっしゃる通り、姫をこんな軽々しく扱われて黙っていることなどできませんね。
兵部卿宮は、大きな後ろ盾を持つ北の方を先日亡くされたばかり。こちらとしても気を使う必要はなくなりましたが、だからと言って私の娘に軽率な振る舞いをしてもよいというわけではありません。同じ迎えて下さるなら、きちんとした段取りを踏んでもらうのが筋というもの。加えて院はどうお思いになるでしょう。家柄の釣り合いのとれた格式高い姫を望んでおられるはず。ものの数にも入らぬ姫を、さてどう受け止めてくださるか…。
万が一、院が黙って見て見ぬふりをして下さるなら、もしかしたら姫にも明るい将来が開けるかもしれませんよ。なんと言ってもあの宮は、東宮の地位が約束されている素晴らしいご身分なのですから」
そう言って、その後兵部卿宮のもとに引き取られた姫の暮らしぶりなど何かと気を使い、衣装も美しいものを整えられる限り整え、父親として、大納言家の姫がお屋敷でちゃんと体面を保てるようにしてあげたのでした。


一方、対の御方の安否を気遣い悶々とした日々を送っている今上は、あまりに長い期間悶々とし過ぎたせいか、帝としての窮屈きわまる生活にすっかり嫌気がさしていました。大好きな対の御方はとうに無事保護されていたのですが、その知らせも今上に届く事はなく、対の御方を失った失意の果てに、とうとう帝の位を降りたいと強く思い込むようになってしまいました。
「対の御方は今頃どこでどう過ごしているのだろうか。
誰かからとやかく言われたわけでもないのに、ひたすら対の御方への想いだけでどん底の毎日を過ごしている。それもこれも、体裁を気にして、ためらってばかりいた私自身が悪いのだ。
私は何をしても許される身なのに、対の御方への愛を押し殺した結果、すべてを失ったのだ。

心からおもひ入りぬるこひぢかな露うちはらひ袖はぬれぬれ
(みずから進んで迷い入った恋の道。袖を濡らさずには歩けない、難儀なことだ)

前世から約束された縁ではなかった、と今さらながら思い知らされることだな」
恋の悩みを打ち明けられる気楽な臣下でもいれば、ストレスもそれほどではなかったでしょうが、誰にも言えずひとり悩み続ける今上でしたので、いつしか本当の病人のように身体の具合が悪くなってしまいました。
今上は、気が向いた時いつでも勤行できる場所が欲しくなり、嵯峨あたりに以前からあった山荘を仏堂に改築しました。
そして、たった独りで何をどう決断なさったのか、突然退位してしまったのです。
皆どれほど驚いたことでしょう。気力体力ともに充実している30代半ばに、帝としての限界を感じるようなことがおありなのか皆がそういぶかしんだのでした。