鈴なり星

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医師・和気重秀の水飯ダイエット指南

 

 

大宮人の日々の健康を長い間見守り続けていますが、記憶に残るほどの大食漢と言えば、そう、忘れようにも忘れられない大飯喰らいの三条中納言朝成卿がおられました。
つい先日、五十八才で亡くなられましたが、まさか怨死だとは。
あの方は絶対に心臓の病か消化器官衰弱で亡くなられるに違いないと確信していましたので、正直驚いてます。
かなりお若い時分から筋金入りの巨体であられ、初めて殿上を許された時、主上が、
「そなた、その体はホンマモンか??」
と目を丸くして驚かれたという逸話も残るくらいの、そりゃあもう見苦しいまでの太りようでした。大変な汗かきで、見ているこっちまでジワーっと汗が吹き出てくるような錯覚を覚えるほどでした。
三条右大臣定方殿の四男で大変裕福。ご気性も大胆にして冷静沈着。学才に優れ思慮深く、いざとなれば押しもきく。聡明なお方のはずですのに、どうして食欲だけはあさましいほどに我慢できなかったのでしょう。
もちろん、ご自分の肥満にお悩みになられていたようで、そのことについて何度かご相談を承っていましたので、
「冬は湯漬け飯、夏は水飯をササッと召し上がるのがようございましょう」
と助言させていただいてたのですが、ある日、
「おまえの指示どおりの食事をしているのだが、どうにも効果が見えない。それどころかますます苦しくなったような。ちょっと来てくれぬか」
と言われましたので、さっそくお屋敷に伺いますと、顔が引きつりました。
大きく横たわる脂肪の塊、いや朝成卿は、立ち上がるのも介添えが必要なほどで、肥満が生活の質にも影響を与えていることは明白です。
「いやこれは大変なことになりましたな。失礼ながら、日々の生活のご不便も相当おありでは?」
「えらありじゃ。汗が止まらぬゆえ、下着がたちまち使い物にならなくなる。用を足したあと、尻が自分一人で拭けぬ。女人を抱こうにも、これでは相手を圧死させかねん。
おまえの処方どおりにしているが効き目がない。とりあえず目の前で喰って見せるから、何がどうアカンのか診察してくれ」
そして、「いつもの水飯を」と命じられた近習の者が、エッチラオッチラ抱えてきたお膳には、大盛りの干した白ウリの三枚おろしとこれまた山盛りの鮎鮨。高々とテンコ盛りにした飯に申しわけ程度に水をかけたもの。しかも食べる早さも並みではありません。二、三口でペロリと干しウリや鮎鮨を平らげ、水飯もどきをササッとどころかザァッとかっ込みます。それを三度四度と繰り返してやっと満足したご様子。手が大きいので、大盛りが小ぶりな量に錯覚されて、いびつな光景が目の前に繰り広げられています。ポカンと口をあけたままの私は、水飯を喰らい続ける朝成卿を見ているうちに、胸が悪くなり吐き気をもよおしてきました。満腹中枢が壊れているとしか思えません。
このままでは、巨体を維持するために働き続ける心臓はボロボロ&胃拡張…そしてある日を境にイヤな感じに痩せ始めたと思ったら、時すでに遅しの飲水病(糖尿病)。
近い将来、そんなコースをたどることは間違いなさそうです。
「殿、殿のお食事の量は、人間としての想定をはるかに超えています。せめておかわりを一回になされませ」
「何を言う。食事があっという間に終わってしまうではないか。最低三回は膳を変えねば喰うた気がせんのだ。消化に良いからと、おろした大根を水飯にぶっかけてみたが、かえって食欲が増して量が増えた」
「では、歯でかむ回数をもう少し増やして、ゆっくりと食事をされては?」
「口いっぱいにほおばっての丸飲みこそ男としての醍醐味。女人の前ではさすがにできんが、鮎も干しウリもぶっかけた水飯もザラザラっとかっこんで思い切りゲップするのが快感なのだ。時間があればシーハーして、そのままうしろに倒れこんでグースカ寝てしまいたい」
「こんな調子では、いつまで経っても肥満が治るわけが」
「おまえ医師だろう。身体の調子を良くするのがおまえたちの務めではないか。患者が気を使ってあれやこれやガマンせねばならんとは、道理がおかしいではないか。
私だってガマンすれば治るのはわかっておる。素人でもわかるわい。そこをだな、患者が欲求不満をおこすことなく好き放題にして、なおかつ治療の効果をあげるのが、おまえたち医師の腕ではないか。おまえの頭は烏帽子の台か?智恵をしぼれ。早う私を助けよ。私はメシを減らすのも体を動かすのも嫌いじゃ」
最終手段として、『耳ツボ痩身療法(ダイエット)で食欲抑制&漫遊急歩(ウォーキング)』を提案しかけていたわたしは、ひどく不条理な言葉を言い放った朝成卿に、いっぺんにキレてしまいました。
「あーあーそうですかそうですか。患者が何も努力しないで治ると思ってるんですか。
長年蓄積されたぜい肉が、生活習慣を改めずにひと月やふた月そこらで落ちるわけないでしょーが!なす術なしでございます!オツムの食欲中枢イカレちゃってるんですよ。
漢学も楽器も、他の努力は何でもなさるのに、なんで食べる事だけガマンできないんですか。アンタの理性は畜生以下ですな!」
一気にまくし立てた挙句、というか、当然の結果としてわたしは朝成卿のお屋敷を出入り禁止となってしまいました。カッとなったとはいえ、高貴な殿上人にあんな暴言吐いて、よく京の都から追い出されなかったと、あのあと朝成卿の慈悲深さに感謝したものです。
そうですか、昇進のいざこざの果ての憤死ですか。
楽器の名手で、笙を吹けば雲に響くかの妙音を、ことのほか主上が愛しておいでだと伺っておりましたのに。官位昇進への異常なまでの執着ぶりが、そのような亡くなり方をもたらしたのでしょうか。
そんなことなら痩身療法(ダイエット)指南に、
「長生きすれば、栄誉栄光は思いのままですぞ。長生きするためには小食と運動、これに尽きまする。ご子孫の繁栄を見届けたくはございませんか?そのためにもぜひ正しい食習慣を身に付けて、長生きなさってください」
と助言するべきでした。
未練や憎しみの果ての憤死で、おそろしいタタリが起きなければいいのですが。