鈴なり星

平安古典文学の現代語訳&枕草子二次創作小説のサイト

無名草子9・著名な女性たちを論じる その2

 

 

 

少納言
母君の和泉式部、これほどすぐれた歌人はいないわね。彼女の歌は、現世だけの巡り合わせとは思えないくらい、とびっきりの才能とセンスにあふれているわ。

物思へば 沢の蛍も わが身より あくがれいずる 魂かとぞ見る

貴船神社の百夜参りで、この歌に貴船明神が返しのお歌を詠んだっていうじゃない?すばらしいわ。彼女の歌はどれもこれも魂に訴えかけるような気がするのよね。人間の本能に語りかけてくるっていうか。

とめ置きて 誰をあはれと 思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり

親の親と 思はましかば 訪ひてまし わが子の子には あらぬなりけり

暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき 遥かに照らせ 山の端の月

和歌の力の偉大さを一番感じる人よね。ほんとに羨ましいわ。

 

中務
宮の宣旨の君(平惟仲の娘。大和の宣旨とも言う)はどうかしら。和泉式部と同じく、内なるものを燃焼しつくしたすばらしい歌人だと思うわ。やっぱり深い悩みや大きな挫折を一度は経験しないと、人を感動させる和歌はつくれないってことかしら。確かに、大きな喜びも大きな挫折もしてない人は、情緒も生きがいもないような気がするし。

 

小侍従
つらい経験から立ち上がったすばらしい歌人は他にもいるわよね。中でも、伊勢の御息所。この方ほどお手本にしたい歌人はないわ。醍醐天皇皇子の御元服のときのお話。伊衡の中将を使いにして、屏風に使う歌を伊勢の御息所に求めたお話、あれは本当にに風流よねえ。権力者ともすっかり無縁になった生活なのに、風雅な日常生活を送り、作歌の心を持ち続け。女流歌人の生活は常にこうあるべき、という理想を見る気がするわ。

 

右近
歌をよく詠み物語も読み情緒を愛することばかりがすばらしい、とはいえないんじゃないかしら。
音楽はどう?特に筝の琴をとても上手に奏でる女性はとても魅力的よ。でも、不慣れな女房や子供・侍までが、物馴れた風に爪弾くのは聞き苦しいわ。琵琶は大体、弾く人が少ないわね。ましてや女性は、習ってる人自体がそういないから、練習しているのが聞こえるだけでラッキーって思ったりするし。
博雅の三位(源博雅)が、百夜通ったといわれる逢坂の関の蝉丸の話。名人に直伝してもらえる博雅の三位の話もたいそうめでたいものだけど、同じく琵琶の名人の兵衛の内侍の話もすばらしいわね。村上帝の御時の、『玄上』を賜って演奏したときの音色が、遠くは陽明門まで響き渡るなど、神がかったようなすばらしさね。『博雅の三位でさえ、これほどの音は弾けないだろう』と、当時の人々が絶賛ほどで、女の身でこれほどの栄誉はないんじゃないかしら。



同じ物語を読んでも、同じ歌を聞いても、人それぞれ感じることは、微妙に違うのねえ。聞いてて飽きないわ。口はさみたいトコだってあるんだけどさ、そこで話は腰折れになってもつまんないわよね。
でもね、楽の音色も人の心をなぐさめてくれるすばらしい芸術だけど、やっぱりアタシは『和歌』が一番でいてほしいのよ。
このまま音楽礼讃で話が続きそうだから、寝たふりしながら聞いたり聞かなかったりしてたら、


小侍従
でもね、音楽方面のことは、自分が生きているうちだけのことで、末の世まで伝わっていかないのが口惜しいわね。秘曲の伝承ならともかく。男性でも女性でも、管弦に関しては、それぞれの折にすぐれた技量をもった名人がいるけど、同じ音色がそのまま後代まで続いてはくれないのよね。
和歌を詠んで漢詩を作り、それに自分の名を書きとどめてこそ、百年千年たった後でも、今その作者と向き合っている気持ちがして、感慨深いものですよ。



ああ、小侍従さんとやら、いいこというじゃない~!


少納言
そうね。ただ一言でもいいから、末の世にまで名を残すほどの作品を書いてみたいわ。

 

右近
少納言の君、さっきも同じようなことを言ってたわね。