鈴なり星

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古今著聞集・変化2 593~597段

 

 

593段 承平元年6月、弘徽殿の東欄に変化の事

承平元年(931)6月28日午後2時頃、衣冠束帯姿の鬼が弘徽殿の東の欄干のほとりに現れ、消えていった。身の丈3mもあるかと思われるほどの大鬼が、白昼堂々と後宮の中心部に現れるなど、現実のこととも思えない。
また、この時期は十夜連続して、八省院と中務省の東の道との間に、多数の人馬の声が鳴り響くという怪奇現象も起こった。多数の人の怒鳴り声や馬のいななきが西から東に向かって行ったという。


594段 天慶8年8月、群馬の音、鬼の足跡などの事

天慶8年(945)8月5日夜、内裏のすぐ東側、宣陽門と建春門の間で、馬が二万頭は居ようかと思われるほどの大音声が聞こえた。近くにある左近の陣で、宿直している者全てがこの音を確認している。
初めは馬のひづめの音やいななきだけだったが、次第に人の声らしき音も混じり始め、しまいには数万とも思われる大群馬と数百人規模の人間の怒鳴り声が辺りに響いていたらしい。
また、数日後の8月10日朝、紫宸殿の右近の桜の下から永安門に到るまで、鬼と思われる足跡や馬のひづめ跡が多数見つかった。
昔は内裏の中に鬼が出没することなぞ、日常茶飯事だったのだろうか。


595段 二十七日間の秘法に依りて、名器玄象が顕れる事

昔、玄象という琵琶の名器が行方不明になったとき、世間の人々はたいそう心配して、取り戻すべく、霊験新たかな祈祷者に、密教の秘法を二十七日の間祈祷させ続けたという。
その効験があったのか、なんと朱雀門の上から縄の巻かれた玄象が、するすると地上に降りてきたそうな。玄象の楽の音に魅入られた鬼が盗んだとか。
今と違い、昔はこんなに霊験あらたかな祈祷者もいたのだ。


596段 水餓鬼、五宮の御室に現るる事

鳥羽天皇五の宮である御室(紫金台御室覚性法親王)が、ある穏やかな日の夕暮れ、手水を済ませて身も心も静かにたたずんでいたとき、身の丈60cm足らずの者が、御簾をかかげて部屋に入ってきた。
姿かたちは人に似ているが、足は一つしかなく顔はさながらコウモリのように醜悪だった。
その怪しげな者が御室の御前に平伏しているのを見て、御室は訊ねた。
「何者じゃ」
「私は餓鬼めでございます。喉が渇いて渇いて、耐え難いほどなのでございます。人間が患う『わらわやみ』という熱病は、皆これ私が引き起こしているのでございます。水が欲しくても得られず、絶えず喉の渇きに苦しんでおります。人にとり憑いて病気にさせている間のみ、わずかな水が飲めるのです。あなたさまはたいそう高徳な御方。あなたさまにとり憑けば、さぞかし甘露な水がいただけるでしょうに、その強い法力ゆえ、病気にさせ申すことができませぬ。
どうか私をお助け下さい。あなたさまのお慈悲で私めに水をお恵み下さい」
水に苦しむ水餓鬼の懇願を御室は哀れに思い、
「ふむ。餓鬼道に堕ちた異形のものであったか。因果応報とはいえ永遠の渇きに苦しむのは不憫だの」
と言って、盥(たらい)に御手づから水を入れ、水餓鬼に差し出した。水餓鬼はとてもおいしそうに、その水をごくごくと飲み干した。
「まだ足りぬか」
御室が訊ねると、水餓鬼は、
「足りませぬ、足りませぬ。ああ、一度でよいのです。心ゆくまで喉を潤せたらどんなに幸せか」
と言う。
御室は指を組み、密教の水生の印を結んだ。すると、指の先から水のしずくが流れて行く。
「では、これを飲むがよい」
御室はそう言って、水餓鬼の口に自分の指を当てた。水餓鬼はとてもうれしそうに指に吸い付いた。
しばらくすると、御室は指先に異変を感じた。水餓鬼が吸い付いている指が痛い。痛みは次第に広がってゆくように感じる。水餓鬼が指先からとり憑き、御室に病にさせようとしているのではないか…ハッと気づいた御室は、さっと水餓鬼を払い捨て、指を組み直し、急いで火印を結び、身体の中の水餓鬼の邪気を追い払ったのだった。


597段 久安4年夏、法勝寺の塔上で天狗が歌を詠む事

久安4年(1148)夏の頃、法勝寺の塔の上で、誰かが歌を吟じているのが聞こえた。法勝寺の塔は高さ80m、八角九重から成る荘厳なる塔。その塔から聞こえる声はさぞかし遠くまで響き渡ったに違いない。

われいなばたれ又ここにかはりゐむあなさだめなの夢の枕や
(我の次は誰がここを住処とするのだろう。なんと無常の宿りぞ)

法勝寺の地一帯は、白河天皇が寺院を造るまでは天狗の住処とも言われるほど未開で寂れた場所だった。ではその夜の吟詠も、天狗の仕業だったのだろうか。
この年、京では実に多くの火災があった。法成寺・法興院や土御門殿も焼亡している。都の人々が不安におののいているさなか、漆黒の闇の中から不気味な詠歌が響き渡るなど、皆どれほど動揺しただろう。