鈴なり星

平安古典文学の現代語訳&枕草子二次創作小説のサイト

プレッシャー その1

 

 

頭の中将はさがしていた。
秋の、やわらかな日差しがそこかしこに落ちている陽明門である。
つい二週間ほど前まではあんなに蒸し暑かったのに、今は乾いて透明な風が通り過ぎている。日差しはまだ暑さを残しているが、風はもうほどよく涼しく、頬に当たって気持ちよい。そんな風に吹かれながら、頭の中将はある人物をさがして、陽明門の陰をウロウロしていたのである。


中将の名前は藤原斉信(たたのぶ)。太政大臣為光の次男にして、先年蔵人頭になったばかりのピカピカの28才貴公子である。どれくらいピカピカかというと、帝の御用で後宮の渡殿を歩けば、女房たちの出衣が重なり乱れるほど御簾が膨らみ、応対する女房役も毎回殺気立ったじゃんけんで決めなければならないほどの人気ぶり。頭の中将本人もよく心得たもので、誰でもわけへだてなく無敵スマイルをふりまき身だしなみにも気を抜かない。いつでも物腰柔らかく優雅に、なおかつ颯爽とした態度。しかも職務に相応…いやそれ以上の才覚で近衛府をまとめており、彼がいるといないとで行事の華やかさもキビキビ度もまるで違う…それくらいのまぶしさなのである。そんな外交上手を絵に描いたような彼が、なにゆえ供もつけずたった一人で木の陰から木の陰へ、隠れるように渡り歩いているのかというと、本日対面する予定になっている、もう一人の蔵人頭の出勤をこんな所で待っているからなのだ。

もう一人の蔵人頭とは、本日秋の司召の除目で、大抜擢された藤原行成。太政大臣伊尹(これまさ)を祖父に持ち…といえば誰もが前途洋々たる将来のご身分と考えるであろう。確かに、元服した当時の彼には、侍従というエリート子息の特権ともいえる職が与えられた頃もあったが、それからの彼の前半生は非運の連続であり、つい前年までは地下人だった人物だ。
地下人が蔵人頭を…頭の中将斉信はそれが気になって仕方なかった。



今年の春は大変だった。ハシカが大流行し、宮中の中納言以上14人のうち8人がなくなるという大事件があったのだ(現代なら現職大臣の過半数がいっぺんに亡くなるようなもの)。この後の未曾有の人事で、蔵人頭が源俊賢(としかた)から行成という人物に代わったのだった。後任の推薦権は前任者にあるとはいえ、どうしてそのような地下人が…斉信はそこがわからなかった。
いろいろな噂は聞いている。藤原実方殿と詩論をめぐってケンカになり、烏帽子を池へ投げ捨てられるという無礼をされたにもかかわらず、私情をおさえてうまく対処された現場を今上がご覧になり、行成の人柄をいたくお気に召されたとか、あるいは俊賢殿が、ご自分の身の上によく似ている行成殿を今上に推挙なさったとか、あるいはその両方が混ざった話であるとか。
斉信としてはどのような理由であってもよかった。あの人格者俊賢殿が推挙した人物ならば、23という年齢にもかかわらず、相当の力量なのだろうと思われる。そこに異議を申し立てるつもりはない。ただ、彼はこれから自分のパートナーになるのだ。地下人の身でしたので何も存じませぬ、ではこちらが困る。
頭の中将斉信は行成の姿を思い浮かべた。
従四位下だというから袍は同じか。なんだ、けっこう位階は上じゃないか。えっと私より若くて俊賢殿のまわりをチョロチョロしてたヤツ…だめだ、思い浮かばない。
除目は今夜の任命で、今から我こそがと多くの参内者が、ここ陽明門から左衛門の陣へ向かっている。行成という人物の姿かたちはわからないが、大抜擢で浮かれまくってるであろうから、大騒ぎしていばりながら歩いているヤツがいれば「それが行成」だと思い込んでいたのがまちがいだった
斉信は心の中で舌打ちした。『自分こそが』と思い込んで、浮かれながら歩いているヤツらばっかじゃないか。
木の陰からの人間観察をあきらめた斉信は、自分も人ごみにまぎれて参内することにした。今頃は供の者が青い顔をして私を探しているだろう、と思いながら。